道祖神スタッフより

NBO/JNB駐在員日記 from JOHANNESBURG

駐在員によるアフリカの日常風景

OCT2008

リリースリーフ(通称リボニア)農場跡が博物館としてオープン

 リリースリーフ農場は、サントンの中心よりも北のリボニアにあります。

 この周辺は今では高級住宅や会社がある地区ですが、アパルトヘイト時代には農場ばかりの地区。

 私が昔々南アフリカに来た1985年にはサントンサンやサントン・ヒルトンなんかはありましたが、それよりも北は牛が歩いていると言われてました。

 その農場が何なのかというと、アパルトヘイト時代の1960年3月21日に起きたシャープビル事件をきっかけとして暴動により、当時の政府は国家非常事態宣言を出し、今は政府与党であるANC(アフリカ民族会議)、PAC、共産党が非合法になり、当時ANCユースリーグで反アパルトヘイト闘争をやっていたネルソン・マンデラ達は、ウムコント・ウェ・シズウェ(民族の槍)という地下組織を組織し、武力闘争を始めました。

 その地下組織の基地が通称リボニア農場=リリースリーフ農場だったのです。

 1963年7月11日にこの農場でウォルター・シスル達ANCのリーダー達が逮捕され、ネルソン・マンデラ(彼は他の場所で逮捕された)達は、その場所から通称リボニア裁判と言われる裁判によって、国家反逆罪で終身刑を言い渡され、ロベン島に送られる事になったのです。

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 最初に、アパルトヘイト反対運動、シャープビル事件、ウムコントウェシズウェの事などの説明ビデオを見ます。

 ビデオには、アパルトヘイト博物館でも見れる、当時のネルソン・マンデラへのインタビューも含まれています。

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 農場の母屋は、ANCの申し入れで、子連れの白人一家が暮らしていたようです。
 博物館としてオープンする前は、ゲストハウスとして使われており、友人と夕食を取りに一回だけ行った事がありましたが、その時には母屋の小さい部屋に写真を展示してあったのを覚えています。

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 農場労働者の部屋、ネルソン・マンデラが使っていた部屋、地下新聞を印刷した部屋などがありました。

 マンデラさんは、農場労働者に扮して出入りしていたそうですし、彼が使っていた部屋はロベン島で入っていた部屋よりはちょっとだけ広いかなって程度の、やっぱり狭い部屋でした。

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当時は、ツアーの車を使って、武器を運んでいたそうです
http://www.liliesleaftrust.co.za


 このホームページを見ると入場料&ツアー代R95ってなってますが、入場料は大人R45,子供R30って言ってました(私はガイドなんで無料ですが、子連れだったのでR30だけ払いました)

written by JOHANNESBURG 駐在員

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