連載
アフリカルチャー・マップ
様々なデータからアフリカを大解剖!!
vol.06 在日アフリカ人ミュージシャンという存在
在日アフリカ人ミュージシャンという存在
今から2年前、名古屋で、不法残留で入国管理局に拘束されたガーナ人が手錠のまま逃走!という事件が起きた。
ガーナという文字が、チョコレートの宣伝以外でメディアに出る日はそう多くない。手錠をつけたまま、いったいどこへ逃げたのか。
事件の背景とは?が、それより素朴な事実にふと気づく。
飛行機で数万キロも飛ばなくても、身近にアフリカ人たちはいる。日本に住む、在日アフリカ人たちは如何に暮らしているのか。とくに活動が目立つミュージシャンたちは。
▼ 在日アフリカ人は何処から来ている?!
そもそも、日本に住むアフリカ人はどれくらいいるのか。入国管理局によれば日本には約1万人(2003年3月の時点で、9694人)のアフリカ人がいるという。
アフリカ49ヶ国から誰かしらは日本に来ている。(未入国民はギニアビサウ、スワジランド、赤道ギニア、サントメ・プリンシペ)ところが在日アフリカ人の出身地には大きく偏りがある。
ナイジェリア、ガーナ、エジプトの出身者だけで、在日の約半数を占める。しかも4人に1人はナイジェリア人。
なぜ、なぜ?ナイジェリア?。実は、ナイジェリアはアフリカで唯一、一億を超える人口「大国」。
日本へ来る人数もそりゃ多い? エジプトも人口はアフリカ第2位。では、ガーナはどうか。人口大国じゃない。野口英世博士以来の日本との関係の深さ故に来日が多いのか。
さらに統計を眺めてみる。面白いことに、ナイジェリア人とガーナ人に日本人配偶者がいる割合は25%~30%。対して、エジプト人は6%と極端に異なる。エジプト人は家族で滞在するケースも多い。
もしかして「エジプト人は家族で来日、西アフリカ出身者は単身で来日し日本人妻をその後ゲット!」というのが彼らの人生パターン…なのか!?
在日アフリカ人は、日本で何をしているのか。この三カ国中、エジプトは短期滞在型が少なく、研究・教授関係、文化活動、留学が多いのに対してナイジェリア、ガーナは短期滞在型それぞれ半数、3割を占め、商用や留学・研修が多い。
▼ 在日ミュージシャンの歴史は約20年?!
職業は様々だが、私たちにとってもっとも身近なアフリカン達といえば、それはミュージシャンたちではないだろうか。彼らの世界はどうなっているのか。
この業界に関する限り、出身国は大きく変わる。
現在活動中のアフリカ人ミュージシャンは30人弱いる(ネット上で活動を紹介している人に限る)が、半数はセネガルとギニアの出身で、マリとガーナを入れると西アフリカ出身が在日ミュージシャンの大勢を占めている。
ここで在日アフリカ人ミュージシャンたちの日本活動の歴史を概括してみると、70年代から活動していたウード奏者のハムザ・ウディーンを除けば、初期来日組は80年代初めからの旧ザイール組だろう。
彼らは80年代の「リンガラ」音楽ブームに乗ってライブハウスなどで演奏した(東京・恵比寿の「ピガピガ」など)。そして定住した、いわば在日アフリカ人ミュージシャン第一波だ。
ついで90年代後半からの「ジェンベ」ブームに乗って、西アフリカから続々と太鼓叩きが日本へやってきた。これが第二波だ。
最近ではモザンビークからマリンバ奏者のジョセフ・ンコシ、ジンバブエからムビラ奏者のレジナルド・テンダイ・チウンディザなど、南部アフリカからもやって来ている。これが定着して、第三の波になるのか、一時の流行なのかはまだ分からない。が、日本で聴けるアフリカ音楽がますます多彩になってきていることは確かである。
▼ ワークショップが大盛況
では西アフリカから来日のミュージシャンたちは、どんな活動をしているのだろうか。ライブで演奏活動はいうまでもない。が、それ以外に、アフリカ音楽啓蒙&生計維持の手段として欠かせないのが「ワークショップ」である。
当世流行のこのワークショップなるもの、つまりは研修会とか講習会とかのことなのだが、ネットを覗くと、続々出てくる、出てくる。
「ジャンベを叩こう!」「アフリカン・パーカッション入門!」「アフリカン・ドラムとアフリカン・ダンス!」。
ジェンベの場合、数人~十数人が集まって一緒に叩き、かつ講師が指導するパターンで、東京近郊では地域センターや音楽スタジオなどで、先生がついて1回3,000円位でやっているところが多いようだ。
参加者たちは、一様にジェンベとの出会いに何らかの「衝撃」を感じてやってくるらしい。東京の街中でジェンベを運ぶ若者をやたら見かけるようになったが、それも納得のワークショップ盛りである。
▼ 太鼓での日本とアフリカ交流へ
アフリカの太鼓のサウンドは、人の心臓をわし掴みにするような魅力がある。
加えて太鼓のもつ親しみやすさ(「自分にもできそう」と思ってしまうのだ!)に多くの人がジェンベの門を叩き、今度はシンプルがゆえの奥の深さにハマってしまう、という構図らしい。敷居の低さと、相反する奥の深さがアフリカ太鼓の魔力を形作っているのだろうか。
熱きジェンベ愛好者たちは、日本でのワークショップにあきたらず、本場ギニアへ数週間かけて太鼓修行をしにいくという。専用ツアーもつくられている。
たかが太鼓と侮るなかれ。太鼓ゆえにアフリカンたちは遠く極東の地まで導かれ、彼らの奏でる太鼓の音は、我らが同胞をはるか彼方のアフリカ大陸まで誘っていく。太鼓叩きは現代のハンメルンの笛吹きなのか!?
欄外コラム
▼ コラム1 硫黄島にジェンベ・スクールがある!
薩摩半島沖約40km、南西半島の南端に位置する硫黄島(鹿児島県三島村))になんと、「ジャンベの神様」ママディ・ケイタ「公認」のジェンベ・スクールがある。
話はケイタが初来日した94年に遡る。なんでも「自分と同じように自然に囲まれて育つ子供達にジェンベを教えたい」との言葉を伝え聞いた三島村村長が熱心に口説き(すごいなー)、ケイタが訪問したのがはじまりとか。その後、ケイタは毎夏、島を訪れジェンベを指導。
ついに、2001年には村の子供たちとケイタのドイツ公演まで実現したというからすごい。
なかなか気合いの入った島である。
その硫黄島に2004夏、日本初(世界で10校目)の公認ジェンべ・スクール「タムタム・マンディング・ジャポン」が開校する。半信半疑で三島村のホームページを訪ねてみると、「宿泊案内」「三島村の特産品」などの項目にまじって、あるある、「ジェンベ」の項目が!
アフリカを離れ、はるか東の国の、そのまた最果て(といっては失礼か!)の島に芽生えたアフリカ文化の芽はすくすくと育っているようだ。行く末が楽しみな学校である。
▼ コラム2 ワークショップ潜入記!
夕方6時から3時間のワークショップだ。
講師はギニア出身のサンバン奏者ヤクーバ・コンデ・ウゴン写真。長身の体躯で美男子の先生はフランス語とマリンケ語のみなので、もっぱら実演指導で行われる。
「パパーンパ パーン」とリズムを口ずさみながらの実演指導。教える方も教わる方も真剣そのもの。妥協を許さない緊張感がある。
どれほど繰り返しただろうか。やっと先生の求めるリズムがでたのか、厳しい表情が一気に崩れ、満面の笑みで「Yeah!」。見ているこっちまで思わず「ホッ」。「太鼓好きがアフリカ人の先生を囲んで和気藹々と太鼓を叩く」という当初のイメージ(偏見か?)がぶっ飛んだ。
一度叩き始めると、一時間以上、叩きっぱなしである。先生は叩くほどに調子がのってくるようだ。が、さすがに1時間近くが経つと、頬を紅潮させ、時計をチラチラ見はじめる生徒もいる。それでも先生が叩く限り、誰一人止めることなく、叩き続ける。
「慣れてきたらコンデさん、手加減しなくなって…」とは参加者の言。ワークショップという名の、太鼓叩き同士の真剣勝負の場なのだ。