連載
アフリカルチャー・マップ
様々なデータからアフリカを大解剖!!
vol.05 アフリカ・エアー、アジア・マーケット争奪戦(NOV 2004)
ガラス張り建築のアジア一モダンな香港国際機場。
搭乗口で、ふと一人の香港人スッチーに目がとまる。「ケリー・チャンみたい〜」とみとれた、その不意をつくように彼女の魅惑的な唇からけったいな言葉がとびだした!
「ニーハオ! ジャンボ!」 何ですか、このチャーハンとウガリをまぜたような摩訶不思議な挨拶は!
おまけに通路には黒いスッチーがずらりと並び、大きなお尻を揺らせて「カリブ〜♪」。
これが噂のアフリカン・エアー・イン・アジア!か。
その昔、アフリカンエアーといえば、伝説の宝庫だった。「飛行機なのにオーバーブッキングのために立ち席(!!)がでるらしい」とか、「マタトゥ式で乗客が集まって満席になるまで離陸しないらしい」などと、尾ひれどころか背びれにフィンまでついた“実話”が幅をきかせていたものだが、最近のアフリカン・エアーはちょっと様子が違うぞ!
インド洋を越えて、われらが庭先、香港へ、バンコクへ忍び寄る黒い影!
最近のアフリカン・エアー、いったいどうなってるの?
▼ アフリカン・エアーはけっこう古い
アフリカの老舗と言ったら、ダントツでエジプト航空。
1932年に世界で(アフリカで、ではない)7番目のキャリアとして設立された歴史を誇る。うーん、さすがファラオの国。
北のエジプトに対して、南は南アフリカか。こちらも1934年の設立で、今年が70周年になる老舗エアーだ。
アフリカ大陸の南北端がアフリカン・エアーの歴史を担うというのはなかなか興味深いものがある。この2社につぐのがエチオピア航空であり、1945年12月に設立された。
翌年にはアディスアベバとカイロの間にDC—3型機を飛ばしている。日本ではJAL(日本航空)が1951年だから、これらアフリカン・エアーが先輩格になるわけ。
アフリカン・エアー各社の路線図からは、その歴史に培われた底力が伺えるようだ。例えば、豊かな客層を元手に世界へウイングを拡げている南アフリカ航空の就航都市は34。
5大陸全域にのばしている。新興のケニア航空はがんばって27都市。
アフリカ大陸が中心だ。
それに対して、エチオピア航空は46都市あり、中東の多さが目立つ。なんとエジプト航空は70都市!もある。が、中南米にないことが、世界に張り巡らされたその堂々たるネットワークの僅かな瑕疵か。
▼ アフリカン・エアーのアジア進出
日本からアフリカ行きの便はいろいろあるが、さすがアフリカ最古の航空会社、エジプト航空だけが成田カイロの直行便を飛ばしている。
あとはすべて、ヨーロッパ、アジアの都市を経由することに。
一時、南アフリカ航空が関西空港へ乗り入れたが、ほどなく撤退してしまった。そこで残念ながら、アフリカ大陸へ行くにはエジプト航空以外は、どこかでストップ・オーバーするのが現状なのだ。
で、その経由地だが、昨今は、日本からひとっとびの香港まで、アフリカの飛行機たちがやってきている。まさしく香港を過ぎるともうそこは、アッフリカ!の時代が来たようなのだ。
香港アフリカといえば、南アフリカ航空がすぐに思い浮かぶ。香港ヨハネスブルグ間を毎日運航(週7便)しているのは、ご存知のとおり。さらにキャセイ・パシフィック航空とのコードシェアで週6便出している。
その香港路線がいまアフリカン・エアーでにぎわってきているのだ。
2003年の秋から、ケニア航空がアジア線を開始したのだ。ナイロビからのフライトは全てバンコクを経由して、香港へ乗り入れている。週3便の運航だ。
いっぽう老舗のエチオピア航空も、アジスアベバからバンコク経由で香港に週3便を、そして広東省の広州へは週2便飛ばしている。
またインド洋の島国のモーリシャス航空も、週2便でポートルイス香港を飛んでいる。
さらにジンバブエ航空が今年11月から、ハラレシンガポール北京という新アジア線を始めるという。
こちらも香港路線を目指していたようだが、競合会社がひしめくせいか、北京のほうになったとか。このようにアフリカと中国の関係は加速度的に深まっている様子。それにしてもアフリカ人たちは中国でいったい何をしているのだろか。中国人はアフリカで何をしようとしているのか。
▼ アフリカン・エアーのアジア人乗客
この新しいアジア路線にはどんな人たちが乗っているのか。
筆者のケニア航空での通算2回(つまり往復なのだが…)のサーベイによると、香港→ナイロビは9割が黒い人々。
ナイロビ→香港は7割が東アジア人であった。機内で聞こえてくるお喋りはかなりの確率でスワヒリ語だが、もちろん「黒い華僑」たるビジネス民族ナイジェリア人も相当数まじっている様子。
また香港ヨハネスブルグでは、中国人の観光客たちが多々乗っており、南アフリカ航空の場合は中国語のアナウンスがないので、ツアー・コンダクターが中国語でメニュー紹介をするような離れ業もやってのける。
この中国からのアフリカ観光は、空港内をゾロゾロ、観光地を旗たててゾロゾロってな感じで、かつての日本人「農協ツアー」なんかを思わせる。
香港・台湾の人々ばかりではなく、本土からも続々、観光客がアフリカへ行く時代になった。最近になって、中国政府が国民の旅行地域の拡大を発表し、アフリカ諸国もぐーんと増えたので、これからは中国の人々が、わんさかとアフリカへ旅に出る時代になるのか。
アフリカで出会う中国人=中華料理店の人々という時代は終わりかけている。
東アジア人のなかで、意外なことに、この〈アフリカ香港路線〉のお得意様と思われるのが、韓国からの観光客たちである。
時にナイロビ空港を占拠しかねないアンニョン族の進出には目を見張るものがある。韓国もアフリカ観光に乗り出し、どうやらソウルバンコクナイロビという黄金ルートがあるらしい。
サファリ・ロッジでキムチがでてくる日もそう遠くないかも。
ここ日本では「地の果て」の代名詞とも言えるアフリカだが、最近のアフリカン・エアーの拡大は彼の大陸が東へ、日本へと近づいてくる地鳴りにも似て喧しい。
広州、香港はすでに彼らの庭となりつつあるかのよう。次は台北、ソウル、そして成田か関西か。遠くない将来、成田で「こんにちは!ジャンボ!」が聞ける日が来るのかもしれない。その日を楽しみにしつつ、今日のところは、「再見!クワヘリニ!」。
(DoDo World News 2004年11月 第95号掲載)
欄外コラム
▼アフリカ航空会社の数は80ある!
アフリカの空港で、よく聞いたこともないフラッグを目にするが、それもそのはず、かき集めた資料から、現在アフリカには約80社の航空会社があることがわかった(90年代初めには約20社しかなかった)。
このアフリカの空の活況は、かつて西アフリカの空をわが物顔で飛んでいたエール・アフリックの倒産によって、各国が自社機を持ちはじめたこと、ポスト・アパルトヘイトで南アフリカとヨーロッパの交流が活発化したことによるようだ。
マンデラ就任後2年間でアフリカ⇔ヨーロッパの交通量が4倍になったとか。また欧米諸国の圧力であちらこちらの国で国営企業の民営化を進めたことも関係しているようだ。
こうしたエアーのなかで、とりあえず確認できた航空会社は40社だが、例えばエール・アルジェリア、ジンバブウェ航空あたりならまだ知名度はあるか。しかし、アフリナット(Afrinat)、ダロ航空(Daallo Airlines)、ラム(LAM)などは名前からも想像がつかない。それぞれガンビア、ソマリア&ジブチ、モザンビークの会社だ。
EAS航空はナイジェリアの会社で、02年の北部カノでの墜落事故が記憶に新しい。唯一の飛べる機体が落ちてしまったので、その後の運航はどうなったのか。奇妙な名前では、タンザニアのPrecision Air(正確航空?か)など、個性的なネーミングも多い。ケニアにはフラミンゴ航空なんてのも。