連載
ドゴンのテリ村から
神話の民と呼ばれるドゴン村の日々
Vol.12 村を訪れた日本人たち (下編②)
アフリカの奥地には電気もない。もとより炊飯器などだれも見たこともない。炊飯は炭火である。七輪のような炉に炭火を起こし、米は鍋で炊くことになる。
これにはコツがあって、まず鍋の米が沸騰したらすぐ、七輪の炭火を半分くらいまで少なくし、七輪に金網を載せ、遠日になるようにして蒸らすようにゆっくり炊き上げる。こうすると米はふっくらと炊き上がる。
アフリカの田舎では鶏の卵を手に入れるのは、なかなか厄介だ。ほとんどの卵は親鳥に抱かせて雛に孵してしまう。卵を手に入れても、一度別の器に割って見なければ、半分雛になっているときがある。セニ君お気に入りの卵のお汁は彼の係りだ。私が日本から持ってきた「うどん出しの素」を上手に使い、この頃は腕をあげてきた。そのほかに、この日の献立は、以前ツーリストの一人が置いていってくれた「京都のしば漬け」と「のり玉ふりかけ」。本当に喜んでもらった。食欲がなかった彼女たちは良く食べてくれた。見ていてこちらまでが幸せになった気がした。彼女たちは夕方少し涼しくなってから、エンデ村に向けて歩いていった。
六日はなかなか賑やかだった。午前中、京都に近い長岡京市の夫婦が一組。この夫婦は一年ほど前に日本を出発して、中国、東南アジア、インドなどを巡ってヨーロッパに入り、モロッコからアフリカ旅行を始めた人たちであった。世界の民族に興味が深く、ドゴンの神話、生活のことなど詳しく聞いていった。現在もまだ旅行中で、先日東南アジアを旅行中で、近くネパールからチベットに入って、中国を経由して帰国するというメールが入った。夕方になってエンデに向けて歩いていった。
入れ替わるようにバンバラ・ツアーのガイド、モハメッドが男性二人を案内してきた。群馬の人と大阪の人であった。最初はエンデまで行って一泊する予定であったが、話し込んでいるうちにテリ村で泊まることに予定変更。夕食はまた私が腕を振るうことになった。日本のお米を炊き、卵のお汁、鶏のアフリカ風煮込み。その夜は久しぶりでドゴンの神話の話から話題が広がって、文学の話など楽しい夜であった。大阪出身の彼は小児科の研修医になるところなので、アフリカの子供の病気のことなど詳しく聞いていた。
こんなに日本人のツアー客が村を訪れたことは、余りないことだ。それも三日の間に八人もの日本人が来ることなど、本当に珍しいことだった。それぞれにドゴンに対する感慨を持たれていったようである。豊かな日本の暮らしからすると、物のないアフリカの生活はそれなりに心豊かなものだと感じてくれる人がいた。日本の生活はどうも急がしすぎるようだ。