連載

Vol.11 村を訪れた日本人たち (下編①)

一月十二日、学校工事の費用にと、日本から持ってきているトラベラーズ・チェックを銀行で交換するために、モプチに出てきていた。この日は、いつもと違って、カニコンボレ村を通っているバンディアガラ方面行きの自動車は何時間待っても来ず、仕方なくバンカスまで出て車をチャーターして、やってのことでモプチに出てきていたのである。

 宿はいつものキャンプマン・ホテルで夕方もう薄暗くなったテラスで何時ものようにモプチの友人達とビールを飲んでいると、大きなリュックを背負った青年がレセプションへ入って行くのが見えた。東洋人のような気はしていたが、気にもかけずに話し込んでいると、レセプションから出てきたのは、なんと大阪芸大で私の講義を聴いていた卒業生の石田君であった。

 これはお互いに驚いた。まさか教え子の一人にこんなところで会うとは、考えてもみなかった。彼にしても同じことで、明日、ガイドを雇って、私と会うためにテリ村に行こうと計画していたのであった。そんな時に、目の前に私がいるものだから、安堵したらしく、挨拶すると黙って座り込んでしまった。

 彼はバマコから朝発ちのバスに乗り、先ほどモプチに着いたところだという。私がドゴンの人たちのテリ村に居ることは大学の教授に聞いていたし、私を訪ねて行くところだったのである。世の中には、時にこんな不思議な出会いもあるのだろう。

 石田君はマリに来るまでに、カメルーンで調査中の、彼の在学中、指導教授であった人を訪ねて行きアフリカの洗礼を受けていた。しかし、同じアフリカとはいうものの、土地が変わればそれぞれに違っている。ドゴンの村でまた違った経験をする事だろう。

 翌日の朝、テリ村出身のイシャカ君が来てくれたので、石田君は滞在許可をもらいに行き、私と共に銀行へ。どこでもそうだが銀行では随分待たされる。石田君は小さなスケッチブックを取り出して、部屋の隅っこに座り、人々のスケッチを始めた。クロッキー程度に留めておかないと、悶着を起こすことになるぞ、と一応云っておいた。アフリカでは人の写真を写したり、スケッチすることを嫌う人がいる。これは注意が必要だ。

 村に着くと若者だけあって、すぐに村の若者と親しくなり、皆からドゴン・ダンスを教えてもらい、楽しんでいた。翌朝は私の手伝いをしているセニ君をガイドに、ドゴンの村々をトレッキングに出発して行った。断崖沿いにエンデ、ヤバタル、ドンジュル、ベニマトゥ、ノンボリ、ティレリ、バナニ、サンガと1週間のトレッキングである。

 二十日、石田君はサンガからバンディアガラを経由して、ジギボンボの断崖を歩いてくだり、テリ村へ帰ってきた。ベニマトゥの宗教上の住み分け、ボンゴで見てきたドゴンの仮面ダンスなど、随分印象が深かったようだ。異文化にじかに触れることは、若いときには必要なことだ。

 二月に入ると、四日、五日、六日と続けて日本人のトレッキング客が訪れた。四日に訪れたカップルは、昨年夏に世界一周のチケットを買って、南アフリカで地球最大のイベント、日蝕を見た後、東・西アフリカをめぐり、その後ヨーロッパ、南米、ジャマイカなどを旅行するというひとたちであった。

 五日に訪れたのは、テリ村出身のガブリエルがガイドで二人の女性を案内してきた。一人は岸和田の人、もう一人は和歌山の人であった。午前中に村に着いて、例によって、栴檀(せんだん)の木の下に置いた椅子で憩い、バンディアガラから歩いてきた疲れを癒していた。和歌山の女性は慣れないアフリカの食事に馴染まず、疲れが溜まっている様子であった。そこで私は日本風のご飯を炊き、卵のお汁を作って昼食を一緒に食べることにした。私としてもお相伴してくれる相手が居ることは楽しみでもあり、張り切って食事の用意をすることになった。幸いなことに、このときはバマコ在住の尾畑さんから、奥地に入ったら大変だろうと、日本の備蓄米を頂いていたものだから、日本食だ。ふっくら炊いたご飯だと喜んでもらえるだろう。

written by 大阪芸大名誉教授|森 淳

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