連載

vol.03 子供たち(前編)

夜が明けると、ほとんど毎日のように五才の男の子ブカリが現われる。
それも真っ直ぐ私の前に来るのではなく、まずコンパウンドを囲っている塀の影からそっと覗いて、私が入り口の前に座っているのを確かめると、入ってきて何も言わずにニッコリ笑う。
彼の兄弟の特徴になっている大きな口でニコッと笑うと、まるで幸せそのもののような気になってくる。
そして一日が始まるのである。

ある日、ブカリが朝の寒さの中でパンツだけの姿で現われた。何か云うのだが私には理解が出来ない。そのうち何処かへ行ってしまった。後で聞くとシャツが欲しかったのだそうだ。

ギリシャが私のところで手伝うようになったのが、どうしてだったのか今でもわからない。

毎朝の水汲みは誰か気がついた子供が井戸まで行き、大きなバケツで水を汲んでくれたが、ギリシャは何時の間にか私の食事の後片付けをしていたし、身の回りの用事をしてくれるようにもなっていた。
14才なのだが発育が悪かったのか、来年は割礼の年だというのにどう見ても10才ぐらいにしか見えない。

ギリシャというのはイドリッサという名の愛称で、誰も彼のことをイドリッサと呼ぶものはいない。

学校嫌いな彼は自分の名前も書けなかった。イドリッサと書いて渡し、練習をさせるのだがうまく行かないと、投げ出してしまう。
今度私が来るまでに、チャンと書けるようになっていたら、スニーカーを買ってあげる約束になっている。

この村では15才になると割礼を受けて一人前の大人になるのである。5~6年前までは村のある場所で、村の鍛冶屋フォルセロンによって伝統的な方法で割礼の施術がされていたのが、今ではカニコンボレからこの地方で唯1人の医者が来て、麻酔を施しハサミを使って手術をするのだそうだ。

男の子は割礼を受ける前までは母親の家で寝泊りする事が出来るのだが、割礼の後は母親の家で寝泊りする事は許されない。食事には母親の家に行くのだが、寝泊りは駄目である。

割礼の事をアマグナAmagunaといい、割礼を行うことをアマグナ・クヌAmaguna kunuといい、割礼を施す人をアマグナ・クヌ・ダガAmaguna kunu dagaという。
割礼の場所はアマグナ・ギナAmaguna gina。割礼に使われる刃物はポルケウェPolkewe
割礼前の子供はアマグナ・ウヌAmaguna unu。割礼後の男の子はアマグナ・ウスAmaguna usuになり、全く扱いが違ってくる。
夜遅くなってくると割礼前の子供は周りの大人たちに母親の家へ帰るように云われる。

アマグナAMAGUNAにはAMA=神、GUNA=奴隷と云う意味がある。
つまり、割礼を受けて神に仕えるものになる。

昔からドゴンでは伝統的に割礼が行われていた。
特に有名な割礼の聖所としてはソンゴ村の壁画のある岩窟がよく知られているし、そこはドゴン観光スポットの一つにもなっている。

(続く)

written by 大阪芸大名誉教授|森 淳

更新履歴