連載

vol.10 村を訪れた日本人たち (中編)

 平山さんのグループは、ドゴンの話を聞きながら、キャップマン定番の昼食を食べ終わり、まだそれほど暑くならない内にと、ガイドの案内で遺跡に登って行った。

 テリ村の遺跡は、この辺りでは一番大きいもので、遺跡の一番東に残されているオゴンの住居跡から、西の端まで500mにもなるかと思うほどの大きさだ。 

 オゴンの住居跡は崩れて、今では壁が二面残されているばかりだが、平原に向いた壁には、祖先の象徴である蛇と男女のレリーフが残っている。入口跡の前には平たい大きな石があって、オゴンが毎日そこに座って村人達の平安を祈っていた場所である。

 すぐ裏の断崖の上にある洞窟がオゴンの墓場で、一〇代のオゴン・ケレマオまでは、そこに葬られた。
一一代のオゴン・アンバラからは断崖のオゴンの住居(オゴディナ)には住まなくなり、その後、歴代のオゴンは平原で暮らすようになった。遺跡の中央辺りの壁に鋸歯紋を描いてある建物が、かつての神殿だが、モスレム化した今ではがらんどうになってしまった。

 一八年前、初めてこの村を訪れた時は、まだアニミズムの世界で、近くに行くことも出来なかったのだが、今では扉も開け放しで何もない。宗教が変わるというのはえらいものだ。

 午後三時、道祖神グループはブルキナファソの国境の町ワイグヤへ向かって発って行った。わたしは平山さんに日本の留守宅への手紙を託した。ここから手紙を出すとしたら、12kmばかり行ったバンカスの町まで出なければならない。そして何時届くものやら。

 一月八日。まだ一週間しか経ってないのに、今度は長谷川さんがコンダクターのツアー・グループが私の留守宅からの便りを持って村を訪れた。前のグループと同じようなルートでマリの各地を巡ってきたそうで、長旅にも負けずにお元気の様子だった。

 早速、前のグループと同じように、栴檀の木陰にテーブルと椅子などを据えてもらい、旅の話が始まった。トンブクトゥあたりのどこまでも続く砂漠、そしてニジェール川の豊かな流れ、サンガからイレリ村でのドゴン・ダンスなど、印象に残る旅だったようだ。また今朝通ってきたバンディアガラから、古いドゴンの村の形式を残したままのジギボンボ村、そして断崖のうえから見る平原の姿など、話は尽きなかった。

 冷たい飲み物を飲みながら一休み、そのあとキャンプマンで昼食の用意をする間、村の中を見に行った。織師アマサグのところでドゴンの織物を興味深く見たらしい。織物は男性の仕事だ。女性は織機に触れることもできない。

 昼食は栴檀の木陰でドゴンの話をしながら一緒に食べることになった。アフリカ風チキンの煮込みと、ニジェール川沿いのモプチあたりで採れるアフリカ原産の米を炊いたものがメニューだった。モプチの町に入って行く堰堤の両側はアフリカ原産の米(オリザ・グラベリマ)の産地で、収穫期になると見渡す限り稲穂の海だ。何処まで続いているのか見ただけでは解らない。

 昼食後は暫く休んで、ガイドの案内で遺跡に上がって行った。この頃はわたしが話をするものだから、ガイドもわたしの話にしたがって案内している。

 オゴンの住居跡まで行けない時は、途中まで行きオゴンの墓のある洞窟などを説明するらしい。ツーリストたちは皆さんマリ旅行に満足しているようだ。 

 それもかつてヨーロッパの地理学者達の夢を沸かせた黄金と学問の都トンブクトゥを訪れてサハラ砂漠を体感したり、ティレリの村ではドゴンの仮面ダンスを見たり、テリ村ではかつて神殿であった建物などまで見ることが出来て、良かったということだ。

 ツアー・グループは午後三時、マリの国境の町コロに向かって出発した。隣国ブルキナファソのワイグヤには夕方着くことになる。この西アフリカの旅は彼らにとって実り多いものであったようだ。

written by 大阪芸大名誉教授|森 淳

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