連載
「もっとケニアを知る旅」案内人独白!!
ケニア在住の早川千晶さんが見たケニアの姿
Vol.05 ツアーからはじまった、ンゴバリ村と仙台の交流
すべては「アフリカおばさん」からはじまった
仙台に、「アフリカおばさん」と呼ばれている元気な女性がいる。その名は石原お母さん。実の母ではないが、わたしもお母さんと呼ばせていただいている。彼女は6年前にはじめてケニアを訪問し、すっかりアフリカのとりこになった。旅を終えて仙台に帰ってからは、アフリカの魅力を仙台の人々に伝える講演会や音楽会を企画・主催し、活発に活動するようになった。地元のテレビ、ラジオ、新聞でも取り上げられ、一躍有名人になったのだ。
お母さんをそこまで動かしたのは、キベラの人々との出会いであった。私の大学の後輩であるお母さんの長男は、当時人類学者のタマゴで、キベラ・スラムでフィールド・ワークをしていた。スラムって悲惨なのかなと思いきや、生き生きとした生活の様子や湧き上がる熱気、たくましく生き抜く人々の力強さにお母さんはノック・アウトされた。
さあ、私たち日本人も元気出していこうよ!というお母さんの呼びかけに、たくさんの仲間たちが集まりはじめた。まもなく、お母さんを団長として、仙台発のツアーが結成された。2001年2月のことである。10人の仲間たちは19歳から70歳まで多彩なメンバーである。キベラ・スラムを訪問し、ンゴリバ村でホームステイ。そしてマサイマラでサファリをするという日程だった。私がガイドをさせていただいた。
パン作りでの交流会
このツアーには大きな目的があった。パン作りを通じて村の人々と交流しようというものだ。ツアー・メンバーのひとり、菊地さん(当時64歳)は、仙台の有名ホテルにお勤めのパン職人だった。彼は定年退職後の第二の人生を、自分がそれまで培ってきた技術や経験を生かして、社会に貢献したいという願いを持っていた。そんなときにお母さんが出演するラジオ番組を聴き、その場でアフリカ行きを決意。このツアーでは菊地さんの指導のもと、ツアー参加者と村の人々で一緒に楽しくパンを作ろうという交流会を組み込んだ。
これの楽しかったこと!村中の若者やお母さんたち、子どもたちが集まり、みんなでわいわいがやがや言いながらパン生地をこね、ドーナツ、アンパン、ピロシキなどを作った。村の人々からは心づくしのキクユ料理をごちそうになった。ツアーの最後に、マサイマラのキチュワテンボ・キャンプの一室で、ツアーの打ち上げをした。酒を飲みつつ盛り上がったのは、「この感動を、今回だけのもので終わらせたくない・・・・」という想いだった。誰からともなく、ンゴリバ村との交流を続けていこう、という案が出され、すぐにその場で「仙台ンゴリバ村交流会」結成を誓い合った。
仙台ンゴリバ村交流会の「キリン大作戦」
仙台に帰ってからは、すぐに活動開始だ。ンゴリバ村の若者たちには仕事の機会がほとんどない。もしも彼らが日本に留学してしかるべき技術を身につけ、村おこしに貢献できるようになれば・・・・。そんなアイディアが出て、計画がはじまった。寄付金を集めるのではなく、日本側とケニア側の両方で共に働いてお金を作り出し、共同で留学生を送り出そうということになった。
そこではじまったのが、「キリン大作戦」。キリンの木彫りをケニアから日本に送り、それを日本で販売する。1160頭のキリンの木彫りが仙台に送られた。そしてついに2001年12月。ンゴリバ村から2人のケニア人女性が仙台へと向かったのだ。
あれから2年。2人のケニア人留学生は日本語学校での2年間の勉強を終え、今春からは専門学校に入学した。その間に20歳を迎え、着物を着せてもらって成人式にも参加した。石原お母さんは現在も、仙台周辺の小学校、中学校、高校などでアフリカのお話をし、ケニアと日本の交流の架け橋となっている。
私も毎年仙台を訪れて、お母さん企画・主催するライブ&トークのイベントに出演させていただいている。アフリカ音楽を演奏するケニア人・日本人の音楽家やダンサー、世界的冒険家であり自然環境保護活動家のアレックス(アンボセリ在住のフランス人)などの仲間を引き連れて、年々、お母さん主催のアフリカン・フェスティバルは盛り上がりを増している。
お母さんは昨年、60歳を迎えた。アフリカの旅がきっかけとなり、このようにダイナミックな人生の展開があろうとは、いったい誰が想像したことだろう。石原お母さん企画ツアーは、2月と8月の年2回、ケニヤへとやってくる。ツアーのメインとなるのはもちろん、ンゴリバ村でのホームステイと、キベラ訪問である。一般参加も可能なので、ケニア庶民との深い「触れ合い」体験がしたい方は、ぜひご参加を!一生忘れられない様々な感動と、かけがえのない仲間たちが得られるはずだ。