連載
「もっとケニアを知る旅」案内人独白!!
ケニア在住の早川千晶さんが見たケニアの姿
vol.01 「もっとケニアを知る旅」案内人独白!
アフリカにはじめて足を踏み入れたのは15年まえ(1988年)のことだ。
アフリカとの出会いは強烈だった。人々は大きな声で笑っていた。日々の暮らしは何かと大変そうだということは、町の様子や人々の居住いから感じられた。だけど人々は何をさておき笑っていた。その体からはエネルギーがはじけ飛んでいるように見えた。町の市場をぐるりと歩き回ると、溢れかえる活気に圧倒された。田舎では、赤土の道にわずかばかりの果物を並べ、赤ん坊に乳を含ませながら日がな座っているおばちゃんが、優しい響きの歌を歌っていた。子供たちが木陰から駆け出してきて、私を見てクスクスと笑う。太陽はさんさんと降り注ぎ、空は青く澄み渡っていた。すべてがキラキラと輝いていた。
人々の歓喜に満ちた歌声
やがて私はトラックの荷台に乗ってジャングルの中を旅していった。たくさんの地元の人々が、ヤギやニワトリやバナナの山にもまれながら、ぎっしりと詰まっている。歩くのとさほど変わらないような速度で、ジャングルの道をガタゴトと揺られていく。一日中、そうやって揺られているのに、荷台の人々は何かを食べている気配はなかった。誰も食べていないのだから、私だけが食べることもはばかられた。翌日も、その翌日も同じだった。時おり、何か食べ物がもたらされると、必ず私にも勧めてくれた。キャッサバイモで作ったウイロウのような保存食がバナナの葉に包まれている。齧ってみると、ほんのりと酸味があり、ぷるりんとした触感を歯に感じた。
あまり食べないのに、荷台の人々は元気がよかった。誰かが歌を歌いはじめると、必ずトラック中の人々がそれに続いて、すぐに大合唱になった。抱えていたバケツをひっくり返して、タイコ代わりに叩きはじめる人がいた。すると、水を入れたポリタンクも、コップ代わりの空き缶も、すべてが楽器になった。これほどまでに歓喜に満ちた歌声を、私は聞いたことがない。皆を見回すと、ひとりひとりの顔が、生の輝きに満ちていた。ジャングルの木漏れ日がトラックに降り注いで、柔らかい光の筋をいくつも作っていた。
彼らの元気のヒミツとは
こんなにも生命を輝かせる何かがアフリカにはあるのだろう。私はそのヒミツが知りたくなった。私がそれまで生きてきた社会では当たり前のように存在している、人間の暮らしを守るためのシステムは、そこにはまるでなかった。病気になれば医療を受け、行きたくなくても学校に行き、欲しいものはスーパーマーケットでお金を出して買い、夜になれば電気をつけ、喉が乾けば水道をひねり、テレビで世界のニュースを知り、いざというときのために保険に入り・・・・。すべてはこの上なく整っているはずなのに、不満や不安は尽きなかった。
ところが、この何もなさそうに見える人々の、どっしりとした安定感は何だろう。人間の力では太刀打ちできない、絶大な自然の中に放り出されたようなちっぽけな暮らしが、これほどまでにはっきりとした輪郭を持って、たくましく存在していられるのはなぜだろう。不安のかけらも見えないような、力に満ちた笑い声は何なのだろう。そもそもが、この厳しさの中で彼らが生き抜いていくことを可能にしているヒミツは、どこにあるのか。何やら私たちの社会からは想像もできないシステムやルールがそこにありそうだ。それがどうしても知りたい。それを知ることは、自分の人生にとって未知の扉を開くような可能性を秘めているような気がした。
もっと深くアフリカに触れる
それから私はケニアに住み着いた。10年以上の歳月が、あっという間に過ぎた。その間に私はケニア社会で働き、ケニア各地を歩き、多くのケニア人の友を得、ケニア人の家族に恵まれることになった。アフリカは知れば知るほど、興味が広がり、視野も広がる不思議な場所だ。はじめに私が知りたくてたまらなかったアフリカの生命力のヒミツについては、その片鱗だけでもなんとかつかめてきたような気がする。
最近、新しい試みで「もっとケニアを知る旅」の案内をはじめた。アフリカに深く触れ、サバンナや野性動物だけではなく、ケニアの人々の生活に接していく。ケニアの人々の暮らしを取り巻く諸事情、どのような社会構造があって、どんな毎日を過ごしているのか。実際に農村やスラムなど、人々の生活の中に入って体験してみることで、ケニアという国の全体像が少しずつ見えてくるだろう。そして、自分がどんな生き方をしていきたいか、より良い社会の構造のために何ができるかというヒントを、このような旅から得られると幸いに思う。