連載

vol.06 ソウェトの人々はどんな家に(上)

ソウェトは、アパルトヘイトで抑圧、搾取された貧乏人たちの住宅、つまり汚く小さい家が密集する住宅地や掘っ立て小屋が並ぶスラムと思っている人が多いのではないでしょうか。
初めてソウェトを訪れた日本人のなかには、マッチ箱と呼ばれる家々を見ながら、日本の自分の家や建売住宅を思い浮かべて、ビックリしたり、恥ずかしくなったという思いをした人々も少なくありません。

ソウェトなどのタウンシップ(都市居住区)は、計画的に作られた労働者(特に黒人)の住宅地で、南アフリカ国内のいたるところにあります。


▽ タウンシップ住居の原型

タウンシップは、もともと労働者向けの計画的な新興住宅地で、敷地面積・家屋の大きさは一戸づつ、それなりには確保されたものですが、旧白人居住区の豪邸と比較してマッチ箱と呼ばれたのです。

その最初の家は、オーランド・イースト(1930年代に建設始まる)やオーランド・ウエストで今まだ見られる赤レンガの4ルームハウス一戸建てです。
現在は博物館になっている旧ネルソン・マンデラ宅がそのタイプで、道路側に玄関があり、玄関を開けると四畳半位の横長の部屋でこれがダイニング。その右横にベッドルーム(子供部屋にしていた)、ダイニングの奥がキッチン。キッチンを抜けると(ダイニングの左隣)マンデラ氏が使っていたベッドルーム。

キッチンの右側にはバスルームがありますがトイレは外でした。この家はベッドルーム、さらに新しいバス・トイレを増築してあります。

1950年代末、まだ人種混合の街だったソファイアタウンがアパルトヘイトの集団地域法によりつぶされて、黒人・カラードの人々はオーランド・イーストの先に強制的に移住させられました。

送り込まれた先には充分な住宅も無かったため、当時のアングロ・アメリカン社の会長、アーネスト・オッペンハイマーがヨハネスブルグ市に600万ランドを寄付して住宅建設をしたという経緯があり、それを記念してソウェトの中心に作られたオッペンハイマー記念公園の周辺、セントラル・ウエスタン・ジャバブ(CWJ)地区に当時の家が見られます。
それも正方形の4ルームハウスで、茶色レンガにセメントを塗った家です。だいたい4分割になっていて、一部屋(4畳半〜6畳位)で、道路側の玄関を入るとダイニング、隣にベッドルームですが、ダイニングとぶち抜きにして広くしている家もあります。ダイニングの奥はキッチンで、その隣がベッドルームとなっています。
トイレはやはり外になり、増築していなければ、お風呂はありません。

4ルームハウスの家には、2軒長屋のように隣家とくっついて建てられたダブルハウスというのもあります。
2軒ある分、敷地が少し狭いようですが、家の間取りはCWJにある家と別に変わりは無いようです。これらの4ルームハウスは、部屋と部屋の間は扉で繋がっており、廊下はなく、さらに玄関脇に小部屋もなく、部屋に収納部が無いために、家具を置くと日本の家よりも狭く感じられます。

お金が無くて、家具があまり無い家もありますが、多くの家がそれなりに家具を持っています。
ダイニングにはソファーがあり、多くの家にはテレビがあります。綺麗な棚を持っている家もあります。


▽ ソウェトの住居をめぐる考現学

◆ 住宅は賃貸が基本だが

元々ヨハネスブルグ市など政府が作った家は、賃貸住宅でしたが、今は個人オーナーの家もあります。15〜20年住み続ければ個人所有になると現政権に言われていたそうですが、未だに請求書が送られて来る家もあります。

が、踏み倒せるものは踏み倒すのがタウンシップの習慣なので、一番踏み倒し易い家賃は踏み倒しながら、増築した部屋(エクステンド・ルーム)を人に貸して収入を得ているちゃっかり者も多くいます。

◆ 増築はベッドルームから

お金に余裕があると、増築を開始します。一番簡単なのは、敷地に掘っ立て小屋を建てる。
大きくなった子供の部屋になります。

次が、エクステンド・ルームというベッドルームを庭の敷地に建て、家の横にガレージを建てます。このガレージも場合によってはベッドルーム化します。

裏庭はエクステンド・ルームだらけで、母屋とエクステンド・ルームで囲まれた小さい中庭はコンクリートを敷いたりしている家が多く、便利な場所だとガレージをお店に改造して雑貨屋とかやっている家も多くあります。

アパルトヘイト時代にはパス法、集団地域法など色々な法律で縛られて、移動も簡単ではなかった黒人労働者たちにとって、お金が少し入ると家具を買ったり、家族が多くて部屋が足らないと敷地内の開いている部分に部屋を増築したりするのが楽しみの一つだったのかも知れません。

◆ 昔はなかった電気

電気は1976年のソウェト蜂起までソウェトにはまったく無く、それ以後電化、道路などインフラ整備がゆっくりと進みました。
南アフリカのテレビ放送はソウェト蜂起頃まではなくて、ソウェトの家庭にテレビが入り出したのは1980年代です。

テレビは今では、アメリカ製やアメリカの真似をしたソープオペラ(メロドラマ)を毎日かかさずに見ている人がいる位に、タウンシップでは重要な娯楽です。

(続く)

written by 道祖神|ヨハネスブルグ駐在員|高達 潔

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