連載
ソウェト・ウォッチング
ヨハネスブルグ駐在員によるソウェトエッセイ
vol.02 ディープでピュアなソウェトへの行き方
▽ ディープでピュアなソウェトへの行き方
ヨハネスブルグの中心部を抜けてソウェトに入るには、訪問先によって幾つかの道があります。
私が良く行くのはピリ(Phiri)地区。ホワイトシティーというソウェトでもディープでピュアな地区であり、観光客や普通の白人が行く所ではなく、ソウェタンでもピリに良く行くと言うと大体の人が驚きます。
そのピリに行くには、高速道路M1でヨハネスブルグ旧市街、金鉱跡のゴールドリーフ・シティー、サウスゲート・ショッピング・センターの横を抜け、オールド・ポッチェストロームというソウェトのほぼ南端を通る幹線に入ります。
高速を降りる前には、ソウェトで最も高級な住宅地であるディープクルーフ・エクステンションが見えます。高速1号線でその横だけを通る人には、ソウェトってのはかなり良い住宅地だなあと思わせるのも、ミリオン・ランド(1700 万円)を越える住宅が多いから当然でしょう。
黒人居住区では、高級住宅地、普通の住宅、下はシャックと呼ばれる掘っ立て小屋の地区まで、貧富の差が広大なソウェトという住宅地に広がっています。
高速道路M1出口のT字路正面には軍用地があります。アパルトヘイト時代に反アパルトヘイト運動の基地であったソウェトに出入りする人を見張っていた所です。
▽ バラグワナ病院とその周辺地区
オールド・ポッチェストロームをソウェトに下りていく道を走っていると、最初の頃は「ソウェトに帰って来たな〜」なんて思って運転していましたが、今ではそれにも慣れてしまって、良くやっているネズミ捕りに引っ掛からないように、ちゃんと減速しながら地元民として走っています。
道路を降りて行くと、南半球で最大の病院クリス・ハニ・バラグワナ・ホスピタル(通称バラ)の前に出ます。この地区はディープクルーフという比較的豊かな地区で、ケンタッキー・フライドチキンやナンドーズという大手ファースト・フード屋も病院前の幹線道路沿いにあります。
バラを過ぎると、前方右側に銀行の広告塔と化した煙突が見えます。これはヨハネスブルグで最初に出来たパワーステーション(火力発電所)で、出来た頃は黒人労働者が発電した電気を全て白人地域に送って、ソウェトはまったく電化されていなかったそうです。将来は博物館になるとか。
▽ ソウェト唯一の大学があるところ
パワーステーションの前で、道路左側にヴィスタ(VISTA)大学というタウンシップ唯一の大学(他のタウンシップにも分校がある)があり、大学生が大学前をウロウロしているのを見かけるが、まだ黒人学生だけしか見たことが無い。
大学の先は左側にピンビルというちょっと良い地区、右側はクリップスプリットという地区。鉄道を高架橋で越すと、1976年のソウェト蜂起の際に学生たちが行進したクリップスプリット・ヴァレーという谷。
そこを走る道路はクリップスプリット・ヴァレーロードを右に折れて行くと、旧ネルソン・マンデラ宅やヘクター・ピーターソン・メモリアル館があるオーランド・ウェスト地区に行けます。この道は別名キラー・ロードと呼ばれますが、道路が良くスピードを出して交通事故で死ぬ人が多いからだとかで、殺人が多い訳ではありません。
▽ 反アパルトヘイト運動の「聖地」
オールド・ポッチェストロームをその先に行くと、右側にレジナ・ムンディというカトリック教会があり、ここには南アフリカで二つといわれるブラック・マリア(黒人聖母)の絵があります。
この教会は6千人収容可能だとかいう大きな教会で、アパルトヘイト時代には宣教だけでなく、反対運動の教育をする場所であったことから、警察がミサ後に襲撃したりした。そうした映像はアパルトヘイト博物館で見ることができます。私の知り合いは、その時に警察が撒いた催涙ガスの中を泣きながら逃げたと言っていました。
教会の先には2002年の環境サミットの際に整備された公園があり、その先はモロカ地区です。モロカ警察署はアパルトヘイト時代には黒人活動家などを見張り、検挙していたので、1976年のソウェト蜂起などの際には白人の手先として焼き討ちされたりした所です。
この警察署のT字路を右に曲がると、ソウェト内ではちょっとした幹線のコマロードで、左側がスナワネ地区、右側のモロカ地区を過ぎ、ムラポ地区に入った所でスワナネ地区を左に入ると、そこが私の目的地ピリです。
コマロードに入るとディープなソウェトに入った訳で、観光客が来ることはまず無く、白人の姿を見かけることはめったにありませんが、車で走っている分にはまあ〜普通の住宅地ですね。この道に入って、ピリに入って行くと、段々と知り合いの顔に出会うことがあり、わが家に帰って来たという感じです。