連載

vol.01 ソウェトはどんなところか?

▽ ソウェトはどんなところか?

初めて南アフリカを訪れたのは1985年、ヨハネスブルグしないの本屋さんではソウェトの写真集が平積みで売られていた。アパルトヘイト反対運動の一大拠点のような地域を紹介した本が売られていること自体、不思議に思えたし、ちょっぴり興奮したことも覚えている。

それから幾ばくの歳月が経って、道祖神で働き、南アフリカ・ヨハネスブルグに駐在員として赴任したのが、今世紀に入ってすぐの年。
この街では仕事でも白人、日本人との接触が多くて、アフリカではないような世界に暮らしている。どこか居心地の悪さを感じてしまう。

ソウェトについては、いつでもステレオタイプの噂が蔓延している。

「ソウェト、アレキサンドラなどのタウンシップは危険で、日本人が入り込めるような場所ではなく、半日ツアーなどで訪れるだけの場所である。」

この噂に対して、駐在員として身を守ることも大事であるという点から肯定していた面もあった。なかなか難しい問題なのである。

ちなみに、ソウェトとは固有名詞ではなく、ヨハネスブルグの南西(South West)にある黒人居住区(Township)でその三語の頭2文字を取ってSOWETOというのは有名である。
アパルトヘイト下の集団地域法でタウンシップは拡大していくが、現在の名称になったのは40年前だ。

で、ここは南アフリカの黒人居住区で一番有名だけでなく、1976年6月18日に始まる青少年たちの「ソウェト蜂起」で世界中に知られることになった。面積が120k㎡、人口が公式で150万人、非公式で400万人といわれる。古くからの住宅あり、新興住宅地あり、スクウォッターキャンプ(不法占拠地)と呼ばれる地区があり、隣には、カラード(混血)・タウンシップ、インディアン(インド人)・タウンシップがある。

どこからどこまでがソウェトの境界で、一体何人が住んでいるのか良く判らない。


▽ ソウェトを知るには行ってみること

そんな地域へ観光客が出かける「日帰りソウェト・ツアー」がある。

これがいつから始まったか分からないが、おそらく80年代ではなかろうか。
観光客がこのツアーで訪れるのは、旧マンデラ邸、ヘクター・ピーターソン記念公園&博物館、ウィニー・マンデラ館(外から見るだけ)、孤児院(行かないツアーもある)、鉄道駅近くの屋台、発電所跡、バラグワナ病院(道路から見るだけ)、ワンディーズというシビーン(実際はレストラン)と、ヨハネスブルグの街に近い東部から東北部のオーランド・イースト、オーランド・ウエスト、デューべ、ディープクルーフ、ピンビルという地区である。

ツアーでは比較的綺麗な場所を見てまわり、地元の人々との交流もないので、いわばソウェト=アパルトヘイト=抑圧された黒人=貧しくて可哀相というようなステレオタイプのイメージを持って来た観光客には、欲求不満になるだろう。

ソウェトに初めて行ったのが、この「日帰りソウェト・ツアー」だった。このときソウェト在住の黒人ドライバー兼ガイドと知り合いになった。その後、ソウェトをもっと深く知りたいという思いが強くなっていった。
そんなおり、あるジャーナリストの誘いでソウェト在住の人を訪ねた。
それを契機に、時々ソウェトに出かけシビーンで飲み、緊張しつつもピュアでディープな世界に触れた。そこにアフリカならでは(?)の居心地の良さを感じた。これを追求するのが道祖神駐在員の任務ではないか、と酔いしれつつ、はまっていった。

それがいつの間にか本物のソウェタン(ソウェトっ子)に成り切れないのがもどかしくも、逆にそうなれないのが有難くもあるといった、自分でも良く分からない状態に陥っている。

written by 道祖神|ヨハネスブルグ駐在員|高達 潔

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