連載
ドゥドゥニスト宣言
アフリカを愛したある旅人の歴史
vol.11 突然のエンスト
初めての土地を訪れる度に、多少の不安と何がしかの惧れを抱いた正体不明の高揚感は、心地よい。漠然と起こりもしない偶然をイメージし、空港に降り町に入る。例え二度目・三度目の訪れであっても、こんな気持ちは、持ち続けていたい。このワクワク感を自分が持てなくなったら、潮時かな、《旅》から足を洗う時かな・・・と、決めている。
ザイール河の向かって左手には、林立するビル群。一見、大都会風のキンシャサが聳え立つ。対する右岸のブラザヴィルは、数棟ある高い建物も周囲の緑の壁に覆われ、対照的な田舎風な風情の都会が、舟旅のゴール地点だ。そんな都でも、まだ見ぬ町には、強い憧れがあった。久し振りの都会には、期待があった。そして何よりも、10日振りに広く・固い土の上を歩きたかった。
甲板上での最後の夜は、二大都市が望見出来る河べりに停泊を余儀なくされた。ゴール目前のお預けだが、税関もイミグレーションも閉まったので手続き出来ないとのキャプテンの説明に最後の晩餐?とやぶ蚊との最後のバトルを楽しむことにした。時間だけは、たっぷりある。焦らない・焦らない・・・と自分に言い聞かせた。
旧フランス植民地アフリカ諸国で有難いのは、どこに行ってもパンが、美味しい事だ。土埃が舞う路上のパン売りでも、パリッとした固さの感触と一流?の味を持つ。早速、ブラザヴィルでも、丸かじりのパンをつまみにビールを流し込んだ。既に当時のブラザヴィルには、天理教の伝道所があり、現地住民の為の医療施設が併設され、日本人医師や看護師も常駐していた。広い敷地の一角を借り、キャンプをさせてもらった。都会の一角で、安全にテントが張れ、荷物の再整備が出来、しかも水も電気も手に入る快適な環境は、心底(しんそこ)有り難かった。
住み心地が良いと、旅立ちの気が萎える。車輌の整備、心身への補給と備蓄食料の買い増しを終え、そさくさと出発した。第二の都市でもある海岸のポン・ノワールへの幹線を西に向かい、手前のドリシーと言う町からアンゴラに入国し、カビンダ州のルアンダ港を目指す。気になるのは、バンギにあれほど屯していた白人旅行者を見かけず、逆方向のスレ違いも無いことだ。彼らは、何所に消えたのか?
雨上がりのような爽やかな風が吹く草原地帯を、西に走る。それほどの蒸し暑さは、無い。フルメンバーではないが、再び旅が始められた喜びを噛み締めていた。だが、この快調も、長くは続かなかった。私が運転するVWコンビが、急にガクンとした。何の予兆も無い突然のエンストだ。今までの故障と何か違うなと嫌な予感がした。道端での修理も出来ず、別の車輌に牽引され近くの村に向かった。ブラザヴィルを出て、140Km西地点にあるミンドゥリと言う村であった。この村に1ヶ月近くも滞在する羽目になるとは、この時、誰も考えなかった。そして全員にとって忘れられない村になっていった。
村内にあるプロテスタント教会の大きな資材小屋を借りる事が出来た。屋根も囲いもあり、雨風は凌げる、全員が眠るスペースも確保出来る、水も手に入るという正にパラダイス?。メカニック担当のイアンとともに、整備マニュアルをみながら、エンジンをバラしていく。クランクシャフトのメタル焼付きが、原因だった。これはかなり重症の部類だ。スペアーのメタルまでは、積んでいない。車をここに放棄するか!との案も出たが、出来るものなら修理しようと意見がまとまり、ブラザヴィルでパーツの入手が可能か否かが前提になる為、調査に行くことにした。
当時、ブラザヴィル/ポン・ノワール間には、1日1本の列車が運行されていた。確か上り(と言うかどうかは、解らぬが)のブラザヴィル行きは、夕方発が定時と記憶している。イアンと二人で、重いクランクシャフトを袋に包み、地元民に混ざって暗いホームで佇んでいた記憶が鮮明だ。もちろん、時間通りに来ることは稀だが、運休も無かった。ひたすら、待っていれば、来てくれた。何度、この間を往復しただろう。曲がりくねった、直ぐにでも脱線しそうな直曲線レールのコンゴ鉄道が、頼もしくみえた。
天理教の方に情報を貰い、パーツ屋に直行。最大サイズのスペアー・メタルならある事を確認。更にコンゴ国内唯一のボーリング工場(焼きついたシャフトを研磨する)で実物を見せながら、研磨の相談をした。と簡単に書いたが、これだけの処理に2日もかかった。