連載

vol.10 国境閉鎖

緑が濃く・重くなり、熱帯地域特有のべったりとした暑さが纏わりつくようになってきた。たわわに実をつけたマンゴー並木を抜ける。赤や黄の色味を帯びはじめ、程なく食べ頃のようだ。右手にウバンギ河のゆったりとした浮き草の流れが、去っては、現れる。バンギ(中央アフリカ)の定宿?とも言うべきロック・ホテル前の草深いキャンプ広場に着いたのは、ほぼマドリッドを出て2ヶ月。日程的には予定通りであるが、これからが本番だ!と河向こう(ザイール側)の雨林と泥だらけの悪路を思い遣った。

ザイールが、中央アフリカとの全国境を閉鎖中!! かけつけの数杯で喉や身体を潤している時に悪い報せの一報が入る。今日も旅行者が対岸のZONGOに渡ったが、入国出来ずに戻ってきたとか、上流の数箇所の渡しがある国境も同じ状況だ・・・とか、次々と悪い報せを持ってくる先着のキャンパー達。我々はその前に、ザイールのヴィザ取りの仕事もある。まー、明日大使館に行ってみないと分かりはしないと、強いて楽観的になっていた。

大使館詣でが、始まる。一日に何組かがメンバーを換え、姿を変え、女性を先頭にしたり、お土産を渡したり・・・とあの手・この手でゆくも業務停止中で一切館内にも入れずの状態が続いた。そろそろ次の手を考えねば・・・。三つの選択肢が、可能性としてあった。

1.ザイールの国境沿いに東に向かい、スーダンに入り、山を越えケニアに至る。

2.ウバンギ河を下り、コンゴ・ブラザヴィルに。陸路でアンゴラ・カビンダ州に入り、フェリーを使い、アンゴラ本国へ。更にザンビアに向かい、北上しタンザニア経由でケニアに至る。

3.この地で解散する。

思いの外、バンギ滞在が長引いてきた。湿潤な気候で、身体が不調になる仲間も出始めた。情報を集めながら、可能性がある3つの選択肢を提示しておき、全員で進路を決める大会議?を開いた。その冒頭に思いがけないパンチを食らう。アンチ主催派の緊急動議的な提案は、3案を押してきた。しかも今までの経費を精算し、余剰金も返せと迫ってきた。今までの鬱憤を晴らすかの様な気迫だ。些細な事の積み重ねや、小さな誤解がここまで彼らに言わしめるのだろう。皆で何とかケニアへの道を目指そうと目論んでいた出端を挫かれ、挫折感と自己嫌悪が交錯した。だが、スタッフを含め半数以上が、何とかケニアを目指したい!との意向を見せてくれ、めげた気分が少し持ち直していた。

私は、GOの結論を出した。しかも大迂回する2のルートを選んだ。結果は、行って・終えてみないと、誰にも解らない。1も2も自分にとっては、未知のルートだ。1のルートの道路状態や情報が全く不明、更にケニア方面からこのルートで来ている旅行者が皆無であった点と、殆どのヨーロッパ組が2のルートを選んでいたのが、決め手になった。アンチ派とは、何度も・何度も話し合った。翻意を期待したが、一人を除いては、噴出したマグマは、終に元に戻る事は、無かった。進むも止めるも、自分達で選ぶ道である。自由でもあると自分に言い聞かせた。が彼らが荷物をたたみ、キャンプを去る日は、無性に自分に腹を立てた。本当にこの判断で良かったのか?・・と。

ウバンギ河は、途中でザイール河に合流し、更に大河を為す。バンギからブラザヴィル迄の定期船は、無い。貨物を載せる平たい甲板にクレーンで3台の車は、下ろされた。甲板のみで、当然キャビンも日陰も何も無い。テントを張り、車と車の間に覆いを張り巡らせ、昼間の居場所を作った。材木などが積まれた平たい甲板同士が幾つか繋がれ、後ろにプッシャー・ボートが納まり、我々の船旅は、始まった。予定では、1週間だったが、乾季の水深は浅く、棹差す水先案内人の努力も空しく、何度と無く座礁をする。その度に切り離されたプッシャー・ボートの体当たりが始まる。夜は夜で、河岸に繋留され一晩を明かすが、群がってくる蚊の大群との戦いが待っていた。

当時の旅では、ミネラル・ウォーターを毎日買う予算も無く、消毒薬を入れた水や煮沸した水を飲料水として、各人に配給していた。ザイール河からバケツで水をくみ上げ、少しでも透明に近づけようと、トイレット・ペーパーをフィルター代わりにした。目的地へ着く迄のしばしの間、ピンクがかった、ほのかに香りある液体が、我々の忘れられない友になっていった。

written by 道祖神|熊澤 房弘

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