連載

vol.07 B4サイズ一枚の募集要項

ヨーロッパからケニア・ナイロビまでを走破する、アフリカ縦・横断旅行のタイトルを《アフリカ—100》と名づけた。

ほぼ100日間の行程になる予定だ。費用は45万円(日本よりの往復運賃を除く)、全てキャンプ泊での3食付きとした(後にこれがトラブルの遠因ともなったが)。

参加者には、
【自分のことは、自分でする】
【参加者自身が交代で食事当番等の決められた仕事を務める】
【早起きや火起し、腕力、運転、料理、語学でも、自分の特技で積極的に旅に参加する】
【町に着いたら群れで行動せず、個人々々で廻り、各自の見聞を広める努力をする】
等々英国流に準じた私の勝手な解釈での参加資格にした。

また保証された旅行では無い(目的地まで着かない場合もある)、一人旅の感覚で、トランスポートのみを共有するんだという意識で参加して欲しいことなどを強調したB4サイズ一枚の募集要項をガリ版に似た粗末な印刷で作り上げた。

今と違い1974年当時は、活字メディアが全盛であった。パワーもあった。

新聞・週刊誌・月刊誌等にでき得る限りの募集案内を、無料のパブリシティ広告で出して貰うしか思いつく手(方法)が無い。
頼るべきは、旅・人脈のみ!

北欧で出会い、帰国後、格安航空券販売を業としているKとS、共に皿洗いをしたH、ナイロビのTさん宅で出会ったフリーライターのW、エチオピアで同宿だった元新聞記者で海外青年協力隊員のY、頼ろうと当てにしていた一人のフリーカメラマンのIとは、ロンドンでの下調べ中、場末の郵便局でバッタリと出会う奇遇もあった。

(彼は、私の計画に興味を持ち、仕事の予定を切り上げ、募集にも協力してくれ、更に参加者の一人にもなったが。)そしてTさんの兄…。

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日本からしばらく離れていると、日本に帰れば何でもできる・無理が叶うと勘違いする怖いもの無しパワーを持つ。

あらゆる旅・人脈、紹介から紹介、薄い縁でも無理やり糸を繋げ‥と人伝てにお願いし・動き廻った。
時間があれば図書館で地方新聞や雑誌類をチェックし、しかるべきコーナーに掲載依頼の手紙作戦もした。
今で言えばモグリ営業同然、何の実体も無い(他人の事務所に電話も借り物)でっち上げに近い自称の冒険クラブに対し、当時のマスコミは、好意的だった。

世相も、こういう風変わりな企画には、おおらかで、暖かかった。
粗末な募集チラシを見て、わざわざ取材してくれるスポーツ紙や週刊誌が7~8社以上にものぼり、3週間もしない内に十数紙・誌に紹介される幸運さだった。

全国からの問い合わせの電話と手紙は、実に150件以上を超えた。10月末から11月中旬にかけて、この計画が初めて他人の眼に触れたわけだが、旅行業として営業している今でさえも、例え莫大な金を払って広告しても、この種の旅行にこれだけの応募を得ることは難しい。

時代背景も味方してくれたかもしれない。

しかも出発予定日迄に1ヶ月位しか無い短期間にも係わらず、予定人数以上の方々が申込みされてきたので、多数の方々には、不本意ながらお断りする羽目になってしまった。ケニアのTさんには、GOサインの電報を打つ。

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参加者は、10代から40代、男女は半数づつ、クルーも入れ総勢は15人。

学生、卒業見込みからデザイナー、彫刻家のタマゴ、前OL、調理師、会社員、カメラマンなど冒険隊の職業も多岐に亘った。
国籍も日本以外に、英国と中華人民共和国の国際部隊?だ。

事前にできる限りこの旅行の性格や、お客さん意識は捨てること、更に旅のハードさや食糧事情を説明して基本的な理解は得たつもりでいた。

人間、自分の想像を超えた世界や予想できない事態に対しての疑問や不明点などは、質問さえも派生しないし、解った振りをしてしまうケースが往々にしてあることが、旅行を業にしてしまった現在は、やっと解るようになってきた。

が、当時は純粋100%で、話したことは、全て相手に納得されたものと単純に信じていた。この為、旅の中途で一部の参加者との齟齬をきたす一因にもなった。

準備のためロンドンには、一部の参加者有志とともに出発予定日の3週間以上前の12月初旬に先乗りした。

なにしろ、2週間強で、英国で予算にあう中古のランド・ローバー3台を探し・購入・登録し、整備しなければならない。
ナイロビから、Tさん、英国籍のイアン、3台目ドライバー候補のKさんもロンドンに合流してきた

written by 道祖神|熊澤 房弘

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