連載
ドゥドゥニスト宣言
アフリカを愛したある旅人の歴史
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《効率・要領》を金科玉条の一つの如く教育され・信奉し・生きてた私世代が、アフリカ大陸に足を踏み入れると、あらゆるロスやムダが目に付き、無闇にイライラする事も多い。やがて現地流の動き方や生き方を容認・理解し、《いい加減さ》が心地良くなる頃になると、無駄が意味を持ち始め、旅...
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《塞翁が馬》の故事では無いが、人間の幸・不幸は、長いタームを経ないと解らない。《旅》の運・不運も旅を終えてみないと評価出来ない。しかも《旅》の面白さ!を突き詰めると、不運な旅?ほど印象深かったり、濃密な記憶が身体の奥に残ったりしている。何をもって《不運》とするかは、各人...
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生来の臆病者が、少しでも胆力を鍛えようと一人旅に出た。自分を追い込み、土壇場でどんな行動が執れ、知恵を働かせ、ピンチを切り抜ける事が出来るのか? を目標にした。臆病モノは、危険を事前に避けてしまい、事が起きては、年をとっても未だにパニックになる。まだまだ自分の旅は、途上...
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初めての土地を訪れる度に、多少の不安と何がしかの惧れを抱いた正体不明の高揚感は、心地よい。漠然と起こりもしない偶然をイメージし、空港に降り町に入る。例え二度目・三度目の訪れであっても、こんな気持ちは、持ち続けていたい。このワクワク感を自分が持てなくなったら、潮時かな、《...
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緑が濃く・重くなり、熱帯地域特有のべったりとした暑さが纏わりつくようになってきた。たわわに実をつけたマンゴー並木を抜ける。赤や黄の色味を帯びはじめ、程なく食べ頃のようだ。右手にウバンギ河のゆったりとした浮き草の流れが、去っては、現れる。バンギ(中央アフリカ)の定宿?とも...
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時期こそ違え、一人で走った時と同じようなコースを走っている。が、印象は、全く異なって見えた。当然、遭遇する人達も違ってくる。2回目とはいえ、同じ出会いや状況が殆ど無い・・行く度に感じる新鮮さが、生きた《旅》の面白さかもしれない。もっとも、一人の時は余裕も無く、無我夢...
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中古車販売を、「ダーティ・ビジネスだ」と広告を見て訪ねたロンドン郊外のある業者は、自嘲気味に話してくれたのが印象に残っている。 何が《ダーティ》かは解らぬが、ボロ車を上等に仕上げて化かす! きっと狐か狸のような存在なんだろうと勝手に解釈した。 化かされぬように頑張っても...
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ヨーロッパからケニア・ナイロビまでを走破する、アフリカ縦・横断旅行のタイトルを《アフリカ—100》と名づけた。 ほぼ100日間の行程になる予定だ。費用は45万円(日本よりの往復運賃を除く)、全てキャンプ泊での3食付きとした(後にこれがトラブルの遠因ともなったが)。 参加...
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古いビートルに欧米の旅行者数人を乗せてキャンプ場に現われたのが日本人Tさんとの出会いだった。 1974年当時、ナイロビ市北部にあるシティパーク内には、指定のキャンプ場があった。 北から・南から、更には西からの殆どの自動車旅行者、キャンパーやバックパッカーなどの溜まり場で...
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閑散としたマラウイの国境で立ち往生となった。 今回ばかりは、ラチが明かない。押したり・引いたり・ナンだ・カンだ小一時間、この間誰も国境通過者は、いない。 うす暗くなり、国境が閉まる頃になってきた。あの手・この手も通じず、相手は入国を認めてくれない。あげく「嫌なら、タンザ...
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慌しく大陸に入り、3ヶ月ばかりで駆け抜けようとしていた。 東のナイロビを目指して走っている。 見えない《何か?》に押され・プレッシャーを感じ、常に前に・前に・走らされる自覚の無い旅でもあった。 知識に乏しく、資料も持たず、事前の勉強不足も甚だしい旅のなかで残ったモノは、...
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アフリカも中央部を過ぎると、空気が重くなって来る。雲の厚みも増してくる。風になびく草も、頼りげない薄葉緑から、肉厚のふてぶてしい緑の世界になって来る。 サハラ入りが遅れたため、ザイール(現コンゴ民主共和国)に入る頃には、常に遠く・行く手前方に、雷雲と稲妻を見やる走行にな...
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事の発端はリスボンだった。路上駐車中に車のガラスが破られ、自動車のパスポートともいうべきカルネ、住所録、旅行記録、レター、資料や地図類、そしてミシュランのアフリカ地図などが入っていたアタッシュ・ケースを盗まれてしまったのだ。人の目につく所に、金目の物がありそうな入れ物を...
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《旅》にも流行があり、時代によって旅の手段や方法、果ては動き方まで変わってくる。私は海外旅行が今ほど一般的でなかった1960年代後半の若者(だった!)が、当時を思い返せば、〈国内旅はユースホステル〉を利用しながらの「カニ族」スタイルが主流のひとつであった。 どういうわけ...