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アフリカを駆け抜ける!vol.01 賀曽利隆さんに聞く
10代後半の賀曽利さんの夢は、バイクでアフリカを駆け抜けることだった。
まだ海外旅行に出かける人は数少なかった時代。
バイトにつぐバイトでお金を貯め、1968年、移民船にバイクを乗せ、アフリカへ出発する。
以来、サハラ縦断だけで13回、アフリカ大陸全体にいたっては、数えきれぬほど足を運んできた。
賀曽利さんを引きつけてやまないアフリカの魅力とは何なのか、そしてこの間、アフリカの旅はどのように変遷してき
たのだろうか。
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◆アフリカの人々は旅人を疑わない
―昨年末から今年初頭にかけて、道祖神のバイク・ツアーを率いて13度目のサハラ縦断を行ったそうですね。
賀)この30年で旅をしやすくなった場所と、しにくくなった場所があります。
1960〜80年代には、アルジェリア経由で何度もサハラ縦断を行ったのですが、90年代に入るとイスラム原理運動でアルジェリアはほとんど内戦状態になって、入れなくなってしまいました。
最近は治安が落ち着いてきたので、私たちが先鞭をつける意味もあって、昨年末からのサハラ縦断では、チュニジアのチュニスからアルジェリアを通って、ガーナのアクラまでのコースを走ったわけです。
―過去、アフリカはほとんどの国を回ったそうですね。
賀)ボツワナ、ギニアビサウ、赤道ギニア以外はすべて行きました。
その中で本当にたくさんの人と出会いました。今までに300夜近くは、アフリカ人の家に泊めてもらっています。
アフリカの人は旅人を疑わないんです。世界中を旅してきましたが、ふらっと立ち寄って、泊めてくれるのはブラックアフリカだけです。これが他の地域との決定的な違いですね。
―「泊めてくれそう」な感じの人がいるんでしょうか?
賀)そうなんですよ(笑)。
まだ明るいうちにバイクで村の広場に乗り込むと、必ず人が集まってきて、誰かが長老を呼びに行く。
長老が出てきたら、「私は日本から来ました」と自己紹介をするわけです。
最初のあいさつは現地語で、あとの言葉が続かなければ英語やフランス語で話します。片言でもいいんです。
アフリカは多言語の世界だから、片言でも非常によく意を汲んでくれるし、打ち解けた雰囲気になる。
そこで、「寝袋はもっているから、そのあたりで寝させてほしい」とお願いする。内心、家に泊めてくれることを期待しつつね(笑)。
すると結局、「あそこの家をあけたから来い」と言ってくれる。で、村の女性が洗面器にお湯をもってきて、「これで体を洗いなさい」。
洗い終わるころになると、「あそこの家で食事を用意しているから行って食べなさい」となる。一軒が終わると、「次はあっちの家よ」と次々とお呼びがかかる。
だから、一軒で食べる量をセーブしておかないといけない(笑)。
―土地の言葉は大事ですね。たとえば、「トイレ」「水」など、この表現だけは覚えておくとよいというものはありますか。
賀)やはり、あいさつですね。「トイレ」や「水」は知らなくてもジェスチャーでどうにでもなる。
しかし、あいさつだけはそういうわけにいかない。どんな民族でもあいさつは重要視します。
だから、まずどんな土地に行っても、現地の言葉でこの5つは覚える。
①こんにちは
②ごきげんいかがですか
③おやすみなさい
④おはようございます
⑤僕はOOから来ました。XXへ行きます。
「Hello」のように、いつでも使えるあいさつは便利ですが、でも「おはよう」なんて現地の言葉で僕の口から出ると、相手は「!?」って目を丸くする。
相手が言う前に、あいさつをしてしまえば、こちらの勝ち(笑)。
それから、「How are you?」にあたる言葉は大事です。
特にアフリカではyouだけじゃ済まなくて、「お母さんはどうですか? お父さんは? お祖母さんは? お祖父さんは? それからクニのほうは?」と、際限なく続きますからね。
ただ、こういうあいさつが延々と続く地域かどうかは見極めなきゃならない。
あまり続かない地域もありますから。
―あいさつの長さに、地域性があるということですか?
賀)そうですね。文化の密度の濃さというか、サバンナ地帯ではあいさつが延々と続くんですが、密林地帯はあっさりですね。
たとえば、マリのバンバラ族などは長い。でも、コートジボワールに入ると小民族が割拠していて、どの民族も短めです。
しかし、北のトゥアレグ族だと、今度はまた違ってくる。
そうした文化の濃淡みたいなものを感じます。
(続く)
(No.100 より転載)
賀曽利 隆 プロフィール
1947年東京生まれ。
アフリカ大陸一周を皮切りに、アジア、オーストラリア、ヨーロッパ、南北アメリカと世界6大陸を駆け巡る。
日本人としては初めてサハラ砂漠をバイクで縦断。